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在宅ワーカー
飯島洸洋さんにインタビュー
「生きがいは『電動車椅子サッカー』です」と語る長野県在住の飯島洸洋さん。ウルリッヒ病を患いながら、人工呼吸器を使い電動車椅子で生活している。長野県のFCクラッシャーズというチームに所属し、チーム代表とキャプテンを任され、2011年には日本代表として選出され、フランス開催の第2回ワールドカップに出場した経験を持つ。
電動車椅子サッカーは、4対4で対戦。バスケットコートの広さでプレイし、大きめのボールを使用する。電動車椅子のフットレストにフットガードをつけたり、ストライクフォースという競技用の車椅子を利用したりして行うスポーツだ。
飯島さんは幼少期にウルリッヒ病と診断され、幼い頃はなんとか歩けていたものの、小学校の高学年で車椅子での生活となった。
高校は養護学校に入学。そこで出会った担当の理学療法士が、電動車椅子サッカーのチームを作り監督をしていたのだ。
「この体でスポーツができるなんて思ってもいませんでした」それから飯島さんは電動車椅子サッカーの魅力にはまっていく。
週3回、デイサービスを利用し、それ以外の日は基本的に仕事をしている。仕事が忙しい時期は、デイサービスにノートパソコンを持ち込んで作業することも。週末は、電動車椅子サッカーのチーム練習や大会遠征に出かけることが多い。アクティブな飯島さんだが、今のスケジュールに落ち着くまでは様々な困難があった。「養護学校を卒業後は印刷関係の仕事をしていたのですが、職場への通勤や環境が身体的に厳しく、半年ほどで退職しました」
その後、数年間作業所に通った。その中で、しっかりと給料をもらえる仕事がしたいと思うようになったが、なかなか自分にできることが見つからなかった。それから障がい者総合支援センターの方から紹介されたのがテープ起こしで、現在は議会などの音声を文字に起こす作業を在宅で行うようになり八年続けている。「自分でベッドから車椅子などに移動できず家族の力を借りて過ごしています。体力的にも車椅子に乗っていられる時間が限られているので、できる範囲で仕事をさせてもらえていることがありがたいですね」
休みの日は、Jリーグや海外の試合を観戦し、地元の松本山雅FCや日本人選手を応援している。漫画やアニメ、お笑いなどのエンタメも好き。充実した毎日を過ごされている。 そんな飯島さんだが、中学校の頃、三年間の半分くらい学校に行けなかった。怪我をしたことがきっかけだったが、怪我が治ってからも学校には行けず卒業した。地域の学校に通っていたため、障がいがある体では通学も大変で「どうして自分は他の人と違うのだろう」となかなか受け入れられないこともあった。「電動車椅子サッカー」に出会い自分の居場所ができたこと、養護学校に行き様々な障がいを持っている仲間に出会えたことで、難病である体を受容できるようになった。
「こういう体だけど、電動車椅子サッカーに出会えて自信を持つことができました。今までは家族や周りの人にサポートしてもらうだけで・・・。自分がしてあげられることがなくて・・・。でも、チームのために貢献できることが嬉しくて、この体を受け入れられることができたんです。家族やサポートしてくださる皆さんや仲間に感謝しています」と語る姿が輝いていた。
辛い過去から逆転の人生を送る秘訣を質問したところ「いろんな人と関わっていくこと」と教えてくださった。電動車椅子サッカーをもっと多くの人に知ってもらえるようSNSの発信や、講演活動、体験会なども行っている。講演会に行くと『かわいそう』とマイナスな感情で見られがちだが、話していくうちに最後にはポジティブな感情になってくれる。そこが講演会をする上で嬉しいことだとおっしゃっていた。今年10月には、電動車椅子サッカーのワールドカップがオーストラリアであるそうだ。ぜひ注目していきたい。
インタビュー 佐々木美紅
車椅子マラソン
尾原夢都選手にインタビュー
【車いすマラソンは、風を切って走れるのが気持ちいい!】
まだあどけなく、はにかんだ笑顔でそう語るのは、愛知県の田原市に住む尾原夢都くん(12)。地元普通校の支援級に通う中学1年生だ。
好きな食べ物はタコライス。 好きなことはYouTubeで、ゲームの実況や格闘家の朝倉未来(あさくらみくる)さんの動画を好んで見ているという。
夢都くんには、「遺伝性痙性対麻痺」という病気で障害がある。一体どういう病気だろうか。
これは遺伝子異常による病気で、夢都くんの場合は足に麻痺があり、痙縮が強いとのこと。痙縮とは、意思とは関係なく筋肉の緊張が高まり、手や足が勝手に突っ張ったり曲がったりしてしまう状態のことである。
【夢都くんの今現在の障害の状況は?】
クラッチ杖や歩行器で歩くことはできるが、成長と共に体重も重くなってきて歩きにくくなってきたため、普段は車いすを使うことが多い。
家の中では這って移動しているそうだ。
【陸上競技を始めたきっかけ】
小学5年生の時、担任の先生からあいちトップアスリートアカデミーのパラスポーツ部門の選考会の案内を貰った。 夢都くんは、面白そう!と思い、両親も「なんでも挑戦してみよう」と言ってくれたため、最初は経験のあったボッチャで応募したそうだ。
ところが選考会の日、10メートル走の測定で陸上に向いてると言われ合格したのだという。
「ボッチャで応募したのに、陸上に向いてると言われてどんな気分だった?」と聞くと、嬉しかったと笑う夢都くん。
これが彼が陸上競技を始めたきっかけである。
【普段はどんな練習をしている?】
学校から帰宅後、ローラーを40分回したり、レーサーに乗ってペットボトルやチューブを使って筋トレしたりしています。
また、週に一度18〜20キロのロードを走っていて、トップスピードは21キロ出るようになりました。
指導者の練習場所が遠いので、月に約2回は知多市に行って練習。あとは地元のロードを走っています。
たまに父親と肩甲骨周りのストレッチやヨガをして、体を柔らかくしています。
ご両親共に、夢都くんには全面的に協力してくれているそう。
【競技の楽しさと大変なこと】 生活用車いすでは出せないスピード感があって、風を切って走れるのがすごく気持ちいい!と、はにかんだ笑顔で答えてくれた夢都くん。
筆者は電動車いすに乗っているがどう頑張っても時速6キロまでしか出ないので、一度風を切って疾走してみたいものだ。
そんな夢都くんは上り坂は得意だが、下り坂が苦手だという。
そのためノーブレーキで下る練習を頑張っている。
ノーブレーキ!想像しただけで怖い。
ノーブレーキで坂道を下る専用のロードがあるそうで、夢都くんは新舞子まで行って練習しているのだそうだ。
【今後の目標は?】
年齢的にまだ出られる大会が少ないけれど今のうちにできること、練習を重ねていざチャンスが訪れた時のために力をつけたい。将来的には名前を聞いたら誰でも分かるような、世界レベルの選手になります!
なりたいではなく、なります。と頼もしく答える夢都くん。 パラリンピックも目指したい?との問いには、「パラリンピックまではまだ思い描けないけど、もっと練習して経験を積み、上を目指したい」と謙虚だ。そうして自信がついてきたら、パラリンピックも視野に入ってくることだろう。 まだやったことはないが、車いすラグビーにも挑戦してみたいと意欲満々である。
【車いすマラソンのデビュー戦で、まさかの転倒】
取材の最後に、夢都くんのお母様から、是非観てほしいと、YouTubeの動画を紹介してもらった。そこには、風を切って一生懸命に走る夢都くんの後ろ姿があった。
腕の力だけで必死に・・・。 順調に颯爽と走る夢都くんであったが、なんとカーブのところで遠心力に負け転倒してしまった。筆者も見ていて、あっ!と声が出てしまった。
しかし、後ろから付いていた指導者の方が「どうする?」と聞くと、「走る」と即答した夢都くん。レーサーの上に姿勢を整えて座らせてもらうと、再び力強く走り出した。沿道には、手を叩き応援してくれる人々。
夢都くんは、ゴールが見えてくるとグッとスピードを上げて走り続けた。筆者も動画を見ながら自然と力が入り、頑張れ夢都!走れ〜!夢都!と、心の中で叫んでいた。そして、見事フィニッシュ!
痛いところもあっただろうに立派だった。その根性を持ち続ければ、世界に名が知れるアスリートになるのも夢ではないかも知れない。
大きな舞台で君がガッツポーズをする日が来ることを、心から応援したいと思う。
インタビュー 前田 真規