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専業主婦をしながら執筆活動にも取り組んでいる山本敦美さんにインタビュー

山本敦美さんは、脳性麻痺による体幹機能障害を抱えながら38歳で出産。現在は専業主婦をしながら執筆活動にも取り組んでいる。今回は、山本さんの幼少期から結婚に至るまでと、出産、また、息子さんと過ごした3年3カ月の育児についてお話を伺った。

幼少期
山本さんは3歳から8歳まで機能訓練のため親元を離れ、土日以外は療育施設で過ごしていた。足の手術が目的で10歳の時に再入園。退園してからは、療育施設の隣にある養護学校(現 特別支援学校)にスクールバスで通学していた。
「小さいころから人見知りで内弁慶だったので、学校から帰ると話せる人が家族しかいませんでした。装具をつけて歩いたり、自分をじろじろ見られたりするのが嫌で、学校以外に家から出たくなかったのですが、兄たちは地元の小学校に通っていたので、子供会の行事などは母にくっついて参加していた記憶があります」
そんな山本さんは、幼少期から障がいがある人たちが周りにいるのが当たり前の環境で育ったため、自分の障がいを“知る”という経験はなかったそう。「障害について詳しく聞かされずに成人して、恋愛するようになってから改めてきちんと知りたくなりました。将来をイメージすると不安や疑問も浮かび、悩んだことはありましたね」

旦那さんとの出会い、結婚
旦那さんとは、山本さんが35歳のときに結婚相談所が運営する婚活サイトで知り合った。「20代で結婚したかったのですが、障がいを理由に別れたり、30歳を目前で焦って婚活をしてうまくいかなかったりして心が折れてしまい、結婚は無理だなと思っていました」
その後も婚活イベントなどに参加するもうまくいかず、疲れてしまったという山本さんは、婚活の手段を変える。「遠ざけていた結婚相談所に7年ぶりに登録してみようと思い、その日のうちに資料請求をしたり、登録先の問い合わせをしたりしました」
自らを、「ネガティブとポジティブが同居している」という山本さんの行動力がで、知り合った旦那さん。「年齢や住んでいるところが近いんですね。そういうところでいろいろ話をするようになっていきました。夫は福祉関係に従事したこともないし、障がいのある人が周りにいる環境でもありませんでした。実際に会いましょうとなったときに、家族の話をいろいろしてくれて、甥っ子姪っ子がかわいいと言っていたので、子供をかわいがってくれる人ならきっと優しいんだろうなと印象がよかったです。結婚したら家族を大事にする人だろうな、と思ったんです」
結婚を前提に付き合い始め、約1年間のお付き合いののちに結婚をした。

妊娠・出産
やがて妊娠がわかると、嬉しい気持ちとともにあらゆる不安が山本さんにのしかかった。「体幹機能障害でもともと筋力が弱い自分の体で、大きくなっていくお腹を支えられるのか。また、年齢的にもリスクが高いことなど不安だらけになりました。子供が障がいをもって生まれてくるかもしれないし、健常の子だったとしても私一人では大変かもしれない……ポジティブな考え方はできませんでしたね。つわりがひどく、今後を考えると職場に迷惑をかけられないという思いと、体力的に自信が持てず当時勤めていた郵便局を退職しました」
初期の検診で、息子さんに首のむくみがみられ、障害があるかもしれないことがわかった。諦めるか継続するかの選択を迫られたが、宿っている命を諦めたくないという一心で山本さんは出産を決意。産後のケアなどの問題から、出産するまで2度の転院を余儀なくされた。「転院直前に切迫流産で入院して、退院後も安静にするように言われました。2週間くらい身体を動かさなかったことで、筋力が落ちてしまい、座位が維持できず泣きながら着替えをしていました。私の身体は関節が変形しているので、お腹の中で押されるとものすごく痛くて、トイレに入って便器に座っていたときに、うまれるんじゃないかと思うくらい、あまりの腰の激痛で泣き叫び、夫がすっ飛んできたこともあったほどです。1度目の転院先の大学病院で、息子に心疾患があることが判ったのもこの時期でした。胎動を感じられるようになってきたら、私も嬉しかったですし、夫も前向きに捉えられるようになりましたね」
“子どもの心臓手術をできる先生がいない”と言われ、山本さんは再び転院することになる。初期に切迫流産で入院したことで、出生前検査をできる週数は過ぎたと思っていたところ、生まれてからの治療方針を決めておけるからということで改めて出生前検査を勧められた。検査の結果、息子さんがダウン症だと判った。
そして山本さんは、38歳のときに出産した。

息子さんの手術と育児
ダウン症で心疾患のあった息子さんは、生後1カ月のときに1回目の手術。生後8カ月で2回目、1歳10カ月で3回目の手術を受けた。山本さんの体の問題や息子さんの医療的ケアのこともあり、入院中も退院後も不安は山積みだったが、家族それぞれ、できることをできる人が精一杯やっていたという。なかでも、山本さんと息子さんの間だけのやり取りがわかる抱っこのエピソードは、想像するとほほえましい。「私は立った状態でひょいっと抱っこができないので、座って体に引き寄せるようにして抱っこしていました。おじいちゃん、おばあちゃんだったらじっとしていても自然に来て抱っこしてくれるけど、それが多分できないんだなっていうのを、子供ながらに分かっていたんじゃないかなと思いますね。私の足元にくっついていたんで、ここまでくると抱っこしてもらえると思っていたのでしょう。『ママがやるからいい? 準備してね。行くよ』という感じで、お互いに協力して息を合わせ、抱っこしていました。そういう点でも、子供との信頼関係は3年間でだいぶ築きあげたと思います」

5年前に息子さんが心不全で亡くなったことをきっかけに、執筆活動を始めた山本さん。大きな喪失感を抱えながらも、息子さんとの思い出を大事にし、旦那さんと支えあって生きている。
最後にお願いした読者へのメッセージでは、こう答えてくれた。
「どんなことも最初は自分の強い意志から始まるよ。それがどれだけ人を動かせるか。自分さえ諦めなかったら協力してくれる人はきっと出てくる。いたってシンプルな話だよ」
周りの声を気にするあまり、自分が本当にやりたいことさえ分からなくなってしまうことが、今の時代には特に多いように思う。山本さんのメッセージから、自分の心に正直になる大切さに、改めて気づかされた。

インタビュー 小林景子