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陸上競技 短距離
久野竜太朗選手にインタビュー

網膜色素変性症という病がありながら、パラ陸上競技に挑戦している久野竜太朗さん。競技をはじめてまだ二年弱だが、2022年に栃木県で行われた全国障害者スポーツ大会「いちご一会とちぎ大会」で金メダルを獲得。
パラ陸上界の『新生の星』である久野さんに話を聞かせてもらった。

■プロフィール
幼稚園から高校までは、特別支援学校ではない学校に通学。その後、一般企業に入社し三年間働いた。
幼稚園の時に母親が視覚の異変に気がつき病院で検査をし、そこで網膜色素変性症と診断された。進行性の病だ。

現在、視力は0・4ほどだが、視野損失率100パーセントで、細かいものや光はほとんど見えていない状態である。
一般企業では、設計の仕事をしていたため、目を酷使する毎日だった。だんだんと見えにくくなり進行していることに気がつく。いつか見えなくなってしまえば、仕事を続けることが困難だと退職し、手に職をつけたいと『あん摩マッサージ指圧師』の資格を取るために学校に通うことにした。現在は盲学校の寄宿舎で生活し、陸上の練習と資格取得のために努力をしている。
趣味は旅行で、昨年はスカイダイビングにもチャレンジしたと笑顔で教えてくれた。

■陸上競技を始めたきっかけ
盲学校には幼稚部から職業科まであり、寄宿舎には小学生から大人まで様々な年代の人が暮らしている。
「あまり悩むタイプではなかったんですが、目が急に悪くなり落ち込んでいました。受け入れられず、急に不安感が襲ってくることもあったりして……」
今まで久野さんの周りには、障がいがある人がいなかった。盲学校に入学し、病気になりながらも自分なりに障がいを受け入れて、明るく振る舞っている子供たちの姿を見て、元気をもらえたそうだ。そこで久野さんの気持ちに変化が生まれた。
「『目が見えなくなってしまう』とネガティブに捉えるのではなく『目が見えなくなるからこそ、できることにチャレンジしよう』と気持ちを切り替えたんです」
自分にできることや向いていることはなんだろうと模索するようになった。
学校内では、いろいろな行事や運動部があり、積極的に参加。そして、陸上大会をきっかけに陸上を本格的にはじめた。

■普段の練習はどのように行っているのか
AC一宮というクラブチームで練習に励んでいる。
現在は、伴走者の必要がなく、健常者に混ざって、筋力や筋持久力の強化、怪我をしない強靭な体作りを中心にトレーニングをしているそうだ。
競技の楽しさは、新しい技術を学ぶこと。
教えてもらったことを吸収し、自己成長を感じられた時は喜びが胸を支配し、もっと頑張ろうとやる気がみなぎる。
「学生時代は帰宅部でした。ほとんど運動をしたことがなかったんです。だから人一倍頑張らなければいけません」

■この先目指していること
「自分はまだまだで、努力していかなければと思っています。来年からはアスリート就職が決まっていて、努力を積

み重ね、一歩ずつ前進していきたいです。将来的には海外大会に出場することを目標にしています」ひとりだと落ち込んで悶々としてしまうこともある。まだまだネガティブで、くじけそうになってしまう時もある。しかし、盲学校の仲間に救われ、家族の支えがあり、気持ちを向上させることができた。そして、今がある。
「失ったものばかりではなく、今の自分にできることもあるのではないか。障がいがきっかけでできることも増えるかなと思えるようになりました。同じ境遇の方の希望に、少しでもなっていけるよう頑張りたいです」感謝を抱きつつ、未来を夢見る久野さんの姿はとても輝いていた。

インタビュー 佐々木美紅

社会福祉法人 豊田市福祉事業団 こども発達センター
小泉真穂さんにインタビュー

愛知県在住の小泉真穂さんは、社会福祉法人豊田市福祉事業団のこども発達センターで働き始めて5年目になる。
骨形成不全症で電動車いすを使用しながら働いている小泉さんに就職に至るまでの経緯や現在の仕事の様子について話を伺った。

IT系の専門学校に通っていた小泉さんは、専門学校生のときに就職フェアや就職相談会などに行ったが条件が合わず採用までには至らなかったという。

「仕事の内容が気に入ってもエレベーターがなかったり、車いすで入れるトイレがなかったりというハード面の問題がありました。また、ハード面がクリアできても力仕事や車の運転免許が必要だったりとソフト面の問題があったりもしました」

就職活動の際に話を聞いた会社は約100社。就職へのハードルがいかに高かったのかがわかる。

「結構しんどかったですね。自分にできることは何もないのかな、と自信がなくなり、メンタル的にもだいぶ落ち込みました」

その頃、将来何をしたいかあらためて考えた小泉さんに幼いころから利用していた「豊田市こども発達センター」で働きたいという夢が芽生えた。

「『恩返し』ができるかどうかはわからないけれど、幼い頃からお世話になっていた発達センターで、何か力になることができないかと考えるようになりました」

専門学校卒業後、スキルアップのために同事業団「けやきワークス」の就労移行支援サービスを利用する。けやきワークスでは、名刺やチラシ、Tシャツのデザインなどを手掛けた。専門学校時代でグラフィックデザインをすることが好きだった小泉さんにとって、けやきワークスでの仕事はやりたいことそのものだった。

「実際にデザインしたものが形となりお客様に商品が渡り、喜んでくださる姿を見ることができて、とてもやりがいを感じることができる嬉しい毎日でした。職員の方々のサポートやあたたかい声がけで心の傷も癒され、『私にもできることがあるかも!』と思えるようになりました」

そうして徐々に自信を取り戻していった小泉さん。どこかに就職できるようにと、けやきワークスの職員と併設されている就労生活支援センターの支援員の勧めで、就労体験実習を行った。いくつかあった実習先のひとつに「豊田市福祉事業団」があり、何度か実習を重ねたうえで就職、現在に至る。

小泉さんの仕事は、電話対応や給食の食数の管理といった事務業務が中心だが、館内の掲示物やデザイン名刺・名札・セミナーのチラシ制作なども行う。当初は事務職として採用されたが、入社して一年経たないうちに、グラフィックデザインソフトのイラストレーターが導入された。ここでも小泉さんの経験が活かされる。

小泉さんが仕事をするうえで一番大切にしていることを伺った。

「感謝の気持ちを伝え続けることです。今の私がいるのは皆さんのおかげです。何かと手伝いが必要なときがあるので、手伝ってもらったときには『ありがとうございます!』と感謝の気持ちを必ず相手に伝えるようにしています。
事業団に就職してから、気づけば5年も働くことができています。家族はもちろん、上司やけやきワークスのかた、就労・生活支援センターのかたなど、お世話になった方々に感謝の気持ちでいっぱいです。今後も頑張りたいです」

プライベートでは、趣味の手芸をしたり、写真撮影をしに出かけたりして過ごす小泉さん。忙しい現在は家時間の確保が難しいが、今後はデザイン制作の時間も増やしていきたいと語ってくれた。

小泉さんが豊田市こども発達センターで働いている姿は、現在発達センターに通う子どもたちの、将来への希望にもなっているのではないだろうか。また、障がい当事者が地域で仕事やその他の活動を楽しむことは、当事者か否かに関係はなく、地域で生きる人たちにとってもきっと、新しい何かに気づくきっかけとなる。それは、社会全体にとってもプラスになっていくはずだ。

インタビュー 小林 景子