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サイボウズ株式会社の杉崎信清さんにインタビュー

サイボウズ株式会社の杉崎信清(すぎさき・のぶきよ)さんは、先天性・全盲の視覚障害者です。大学時代の就職活動中、企業側から視覚障害への理解を得ることが難しく悩んでいたところ、大学教授の紹介で、チームワークあふれる社会を目指すソフトウェア開発企業「サイボウズ」を知り、面接を受け、入社しました。

全盲で愛知から上京

サイボウズ株式会社の開発本部で働いている杉崎さんは視覚障害者です。障害者手帳の等級は一級で、先天性の全盲です。つまり、杉崎さんは目がまったく見えない状態で、生まれたころから視力がありません。

晴眼者からすると一見、「目がみえないと大変なのでは?」とか「日常生活で不便なのでは?」と思ってしまいますが、杉崎さんいわく、その生活自体に慣れているのでそこまで不便さは感じないと言います。強いて言うなら、ペットボトルの蓋を落としてしまうと、探すのが大変だとか。
そんな杉崎さんは愛知県で生まれ、小学校・中学校を愛知県の盲学校で過ごしました。高校は東京の盲学校、大学は筑波技術大学で情報システム学科を専攻しました。

筑波技術大学に入学した理由を聞くと、コンピュータ系が好きだったからということもそうですが、視覚障害者に対して情報工学を教えるノウハウを持っている大学だからという理由が大きいそうです。

人生最大の壁・就職活動

実際に同学では講義で使用する教材はすべて電子データで配布されるとのことで、学習面での不便さは一切感じなかったと言いますが、一方で杉崎さんは大学時代、人生最大の壁にぶち当たることになります。それが、「就職活動」です。

子どもの頃からコンピュータが好きだったという杉崎さんは、その「好きの延長線」で、何となく自分も大学を卒業したら、その道で働くものだろうと思っていたそうですが、そうは簡単にいきませんでした。
就職活動では企業側から視覚障害への理解を得られなかったり、「アサインできる仕事を用意できない」という理由で落とされたりしたそうです。杉崎さん自身も、どういう仕事がやりたいのか・できるのか具体的に伝えるのが難しかったといいます。

転機は教授の紹介で・・・

そんな時、杉崎さんに転機が訪れます。それは大学教授にサイボウズはどうか?」と紹介してもらったことです。大学教授はサイボウズの青野社長と知り合いとのことで、杉崎さんは早速、サイボウズの選考を受けることにしました。

そして、サイボウズの理念やビジョンに共感した杉崎さんは入社を決意し、現在は新卒3年目で、開発本部でアクセシビリティエンジニアとして働いています。

主な仕事はアクセシビリティに関する業務を中心とした「社内啓発」「開発」「社外発信」の3点で、社内外に向け、アクセシビリティについての勉強会や講演をしたり、グループウェアのアクセシビリティ機能を開発したりしています。作業環境はフルリモートワーク。ZOOMやSlack、サイボウズのKintoneを使ってコミュニケーションしています。

パソコンは日常生活でも使用しておりお手の物。スクリーンリーダー(音声読み上げソフト)をインストールし、音声を聞きながら操作していて、聞き取る音声は常時二倍速くらいに設定。

今後はアクセシビリティエンジニアとして、サイボウズのグループウェアを障害の有無に関わらず、誰もがチームの一人に加われるようなサービスにしていきたい。最後に、そう笑顔で話してくれました。

視覚障害で全盲の杉崎さん。人生で一度も周りの景色が見えたことがないと言いますが、だからこそ「チームワークあふれる社会を創る」という視点は、誰よりも、ずっと先まで見えているのかもしれません。

インタビュー 佐藤仙務

タレント・モデル・ライフスピーカー 塚本明里さんにインタビュー

「モットーは『できないことの数を数えず、今できることの数を数える。』です」

今回、話を聞かせてもらったのは、3つの難病とともに明るく生きる、岐阜県在住タレント・モデル・ライフスピーカーの塚本明里(つかもとあかり)さん。

取材のためリモートをつなぐと、布団に横になりながらインタビューに答えてくれた。

明るく可愛らしい魅力あふれる方というのが第一印象。ところが、見た目ではわからない内部障がいがあり、病気の内容を聞くと壮絶だった。

「筋痛性脳脊髄炎、線維筋痛症、脳脊髄液減少症。すべて長い病名なんです」

どんな症状なのか一部を紹介すると、脳に霧がかかったようになり思考判断が低下、布団が鉛のように重く寝返りがうてない、光が痛みに変わるので目が開けられないなどだ。痛みもあるので週に2回、全身40カ所に麻酔注射を打ち痛みを和らげている。歩けるが、少し頭を上げていただけで失神する可能性もあり、リクライニング式の車椅子を使用。

発症したのは16歳。それまでは活発で健康そのものだった。ところが病気になってからは、家と病院の往復生活で、生きる意味を見失っていた。そんなある時、岐阜市の柳ケ瀬商店街のイベントを観に行った。まちづくり団体の代表に声をかけてもらい柳ケ瀬商店街非公式キャラクターの広報を任されたのだ。SNSの管理や体調がいい日はイベントの舞台にも立った。大好きな岐阜を盛り上げたく、病気を患いながら地域活性化活動に力を注ぐ。役割ができたことがとても嬉しかった。

塚本さんの患っている内部障がいは、まだまだ全国的に認知されておらず、専門医が非常に少ない。まずは自分の姿を通して、病気啓発活動をすることを決意する。

「立ち上がっていた人が急に車椅子に横になったら、あの人は一体何なのって気にかけてもらえると思ったんです。それで病気のことをたくさんの人に知ってもらいたいなと」

そんな塚本さんをメディアが取り上げていくようになった。応援の声が届き、大好きな岐阜でタレントとして活動をすることに。それからはラジオやテレビにも出演。モデルとしても活躍している。華やかな世界に見えるが常に病気の症状があるため日々戦いだ。通院の日程や
体を休めることを念頭に置きながらスケジュールを入れていく。オファーしてくれた側からも無理をしないでくださいと温かい言葉をくれるが、どんなに体調が悪くても穴を開けたことは一度もない。「タレントという職業を選んだからには、人前では笑顔で皆さんに明るい気持ちになってもらいたい。そこは私のプライドです」

この体になってもお仕事ができることに感謝。体をサポートしてくれるすべての方に感謝。この仕事は生きがい。体調が悪くても予定をこなせることが幸せと輝く笑顔を見せてくれた。

仕事で多いのは講演活動で、内容は福祉、病気、人生について、ヘルプマークなど。ヘルプマーク所持者を助ける場面に出会った際に子どもだけで対応してトラブルになってはいけないため、子ども向けのヘルプマークサポートプログラムを作成。

今後挑戦してみたいことは、病気の啓発と支援も引き続き行いながら、店や企業のPRの仕事、仮想空間メタバース、テレビ番組のコメンテーターなど、いっぱいあると弾ける笑顔。

自宅の布団の中からリモートコメンテーター、もしくは車椅子で出演するなど、障がい者も普通にテレビに出ている時代が来てほしいと語る。

最後に読者へのメッセージをもらった。

「うまくいかない時は少し休んで、いい意味で自分の体に合わせてマイペースでいいと思います。自分も障がいがある方が暮らしやすい社会を願って道を切り拓いていけるように頑張るので、一緒に頑張っていきましょう!」

インタビュー 佐々木美紅