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アート雇用で働く 阪井大輔さんにインタビュー
まず初めに、アート雇用とは何だろう?というところから説明していこう。
アート雇用とは、障害のある人が絵を描くことを仕事とし主に在宅勤務で企業などに就職して創作活動を行う、新しい障害者雇用の形態である。最初はB型作業所で働いてたんですよね?
「はい。最初は長久手の、カフェが併設されてる作業所で2年。次に同じ会社が作った作業所で2年働きました。作業所で働いてた時に、アールブリュット展に出品した作品で優秀賞を獲って、それがきっかけでアート雇用の話がきて、お惣菜屋さん、デパ地下などに入ってるお惣菜屋さんなんですけど、そこでアート雇用という形で2年働きました」現在は、アイアール株式会社で、アート雇用で働いている阪井さん。
会社から依頼される絵を描いたり、展覧会に作品を出品して会社をPRしているということですが、会社からはどんな絵を描いてほしいってお願いされるんですか?
「最近でいうと、トランプのマーク。ダイヤ、スペード、ハート、クローバーのマークを使って絵を描いてって頼まれました。アイデアが降りてこないと、なかなか難しいですね」
最初に優秀賞を獲った作品のタイトルを失念してしまったという阪井さん。2度目に優秀賞を獲った作品のタイトルは「モノクロームな世界」
筆者も絵を描くことが好きで、阪井さんがどんな絵を描かれるのかとても興味があり、ネットで作品を拝見した。
最初パッと見た時に、黒い無数の点々が描かれていると思ったのだが、画像を拡大してみると、これまた無数の丸や四角や長方形が描かれていて、しかもそれらは同じようで少しずつ形が違うのだ。思わず息を止めて見入ってしまった。
【制作活動】
八事にあるブックカフェで、ほぼ1日中絵を描いている。
「ここのカフェの店員さんにはとても良くしてもらってて、絵を描くスペースを与えてもらって感謝しています」と阪井さん。
【休日の過ごし方】
休日も絵を描いて過ごしているという阪井さん。土曜日は仕事が休みなので、一箇所に留まらず、カフェを転々としながら絵を描いていることも多いそうだ。
「八事のブックカフェ "CoーNecco" では、開店から閉店までずっと居ていいよって有り難いことを言ってくれるから、1日中描かせてもらってるんだけど、他のカフェだと、やっぱり回転率が良くなくなっちゃうから、居ても1時間くらいですかね」
仕事用とプライベート用で、スケッチブックを分けてるのですね。仕事用とプライベート用では、描く絵に違いはあるんですか?
「描いてる絵にはそんなに違いはないと思うんですけど、やっぱりプライベート用のほ うが開放的っていう感じがして、伸び伸びと描けるな〜っていうのはありますね。会社用のは少し緊張感が出るかな、と思います」
【この先目指していること、取り組んでみたいこと】障害者アートを通して色んな人と交流したいとのことですが、どんな人と知り合って交流してみたいですか?
「障害者とか健常者とか関係なく、色んな人と繋がりたいし、色んな分野の方、カフェ とかギャラリーとかやってる人とも繋がりたいし、国内だけじゃなく、海外の方とも繋が りたいと思っています」
ジャンルを問わず、色んな人と繋がることで刺激となり、より阪井さんの世界が広がることだろう。これからも素敵な作品がたくさん生み出されていくことを願い、ペンを置く。
インタビュー 前田真規
車いすシンガー 熊野宏和さんにインタビュー
真っ直ぐな歌詞と力強く響く歌声。KAZ(カズ)こと熊野宏和さんは、札幌を中心に活動する車いすシンガーだ。人前で歌をうたうようになって21年目の現在、音楽を始めた経緯やルーツ、この先目指していることについて話を伺った。
■ラジオから流れる音楽に耳を傾けた少年時代
札幌市在住の熊野宏和さんは、先天性多発性関節拘縮症(せんてんせいたはつせいかんせつこ うしゅくしょう)という障がいをもっている。先天性多発性関節拘縮症とは、両上下肢の関節部分が一定のところで固定され、稼働区域が狭い状態で、熊野さんの場合は、肩や肘、手首、股関節、膝、足首などが曲がらない。そのため、日々の生活では簡易電動車いすを使用している。
そんな熊野さんが音楽に興味を持つきっかけとなったのは、幼少期に聴いたラジオである。当時はまだインターネットやスマホもなく、体が動かせない熊野さんはラジオをよく聴いていた。
「テレビはうちの父親が野球を好きで観ているから、自分の観たい番組が観られないこともよくありました(笑)。でも、ラジオではひたすら音楽が流れていたりするので、それを聴いて歌が好きになったんだと思います。それ以来ずっと音楽は好きですね」
それから熊野さんは自分でも音楽を始めたいと考えたが、手の動きに制限があるため、歌をうたうことを考えた。 「高校の時にバンド部があったんです。そこで『歌いたいです』って話をしに行って、仲間に入れてもらい、歌うようになりました」
当時流行っていたのは、BO∅WY(ボウイ)やCOMPLEX(コンプレックス)。まさにバンドブームの時代だ。
熊野さんはその後、ギターに挑戦する。ギターの六弦を下から指で押さえることができないため、上から押さえるという弾き方をあみだした。さらに、音楽仲間と知り合ううちに、アコースティックギターより小さいミニギターの存在を知る。
「ギターのコード本を持っていたので、それを上から押さえたらどうなるのか、工夫しながらやっていたらコードを押さえられるようになって、音も出るようになりました。一年くらいかかりましたけどね」
■ライブ活動を通じて知った児童養護施設の現状
ギターにのめり込んでいった熊野さん。ギターはある程度弾けるようになったものの、どうやって人前で歌えばよいのかわからなかった。そんなときに、元同僚が路上ライブをやっていることを教えてくれて、それを見に行ったことがきっかけとなり、活動を始める。最初はユニットで活動を始めたが、その後ソロへ移行し、いろいろな人の手を借りながら、路上ライブをおこなっていった。
活動の場は福祉へも向けられるようになる。2010年から児童養護施設で暮らす子どもたちのために何かできることはないかと考えた熊野さんは、自身で企画したチャリティーライブを通じて、チケットの売り上げや会場での募金をすべて、児童養護施設に寄付する活動を行っている。
(※昨今の新型コロナの影響もあり、2020年から現在までライブ活動はできていない)
熊野さん自身も、現在小学校四年生になる男の子のお父さんだ。お子さんが生まれる前と後で、児童養護施設への想いに変化はあったのだろうか。
「チャリティーライブへ対する想いは、より強くなりました。
昔の児童養護施設では、親が亡くなったり、引き取り先がなかったりする子どもたちが暮らしているイメージがありましたが、実際に伺って話を聞いてみると、親との関係性がよくなかったり、虐待されたりして、親は健在だけど一緒に暮らせない子たちもいることがわかりました。自分は今、たまたま子どもと一緒に暮らしていられるけど、そういう子たちもたくさんいることがよくわかったので、微力ながら救いの手を差し伸べられればいいなと余計に思うようになりました」
オリジナル曲は50曲以上。曲作りで大切にしていることは、シンプル且つキャッチーであることだ。「活動するうえで自身も楽しくは当然ですが、私の音楽を聴いてくれる稀有な方々が、ライブを観終った際に楽しかったと思ってくだされば本望です。それには、わかりやすいメロディーの歌や、適当さが詰まったトークを心掛けています。歌がうまかったり、演奏が上手だったりする人は当たり前にいます。そこに演奏が拙い私がほかの演者のように目立とうとすると、シンプルな曲と話術になると思い、若い頃からトークを取り込むようになりました」
■未来を生きる子どもたちのために
熊野さんは現在、在宅で障がい児福祉事業の事務関係の仕事をしている。仕事が休みの日は、好きな音楽を聴いたり、お子さんとゲームをしたりするそうだ。最後にこの先目指していること、取り組んでいきたいことを伺った。
「加齢により体の動きが悪くなっているような気はしますが、なんとか現状維持のまま仕事も在宅で続けていきたいですし、休止中の音楽活動も復活させていきたいです。ラジオを聴く時間が増え、時事ニュースもたくさん入ってきて、子どもたちに関して耳にするのも辛い内容が聞こえてきます。一人でできることは限られていますが、微々たる援助であっても届けられるように、子どもたちに特化したチャリティーライブは、継続していきたいと思っています」
インタビュー 小林景子