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近藤将一郎さん(19)は、筋ジストロフィーディシェンヌ型を患っているため、電動車椅子を使用し、定期的に姿勢保持やたんの吸引が必要だ。食事やトイレも全介助。重度な障がいがありながらも一般企業への在宅就労を勝ち取り、今年の四月で働き始めて一年。9時から16時までの長時間勤務をこなしている。
今回はそんな近藤さんがどのように今の仕事を見つけ、そして実際に働いてどうだったか、詳しくインタビューさせていただいた。
■就職を決めるまでの道のり
幼い頃は歩くことができた近藤さん。地域の幼稚園に通い、小学校2年生までは健常者と一緒に通学をしていた。小学校の途中から特別支援学級へ。中学校、高校は特別支援学級で学び生活してきた。
進路を考えるようになり、同じ病気の先輩も就職をしているが、自分は電動車椅子なので、できることも限られている。こんな状態で仕事することが可能なのかと不安になることもあった。
『在宅就労』という言葉をよく耳にするようになったのはこの頃だった。
そして学生時代の夏休みに『企業体験』というのがあり、参加をした。企業が学校に来てテレワークの体験をしてくれるというものだった。
「イメージがしやすくて、自分も一般企業で働きたいと思いました」
トラックボールのマウスを使い、パソコンの画面上に表示するキーボードで文字入力をするなど、できないことを考え工夫することで、在宅就労であれば可能だと思ったそうだ。
面接を受け合格し、高校卒業と同時に就職を果たした。
■実際に働いてみて
『在宅就労』は孤独なものなのかなというイメージがあった。研修期間を終え、実際に働き始めてみると印象がだんだんと変わっていく。
「チャットを使って常に色々な方とやり取りをしているので、一人だという感じがしません」
障がい者が在宅で仕事をする上で大切なことは、わからないことや困ったことがあれば積極的に発信すること、体のハンデを抱えながら働くために、上司に自分の体の状態を理解してもらうことであると教えてくれた。
「体調と相談しながらスケジュール管理をおこなうことが、無理なく長く仕事を続けていく上で大切なことだと思います」
■コツコツがモットー
小学校の途中から車椅子生活になった近藤さん。自分の体のことは自然と受け入れてあまり考えないようにしていたが、周りのクラスメイトに「車椅子楽だね」と、特別扱いされたこともあった。
悔しいことも苦しいこともあったけれど、人の目を気にしないで、自分にできることをコツコツしていこうとエネルギーを注ぐようになった。
「できない部分、難しい部分っていうのはあると思うんですけど、その中でも自分でできることは、少しずつ地道にやっていくっていうことが世界を広げる近道なのかもしれません」
仕事を終えたあとや休日はスマホゲームやYouTubeを楽しむ。働いて、自分のやりたいことをする。当たり前の幸せを手に入れるため日々努力をする彼の姿に感銘を受けた。
■今後の目標
外に出ることが大好きな近藤さん。愛犬と一緒に散歩に出かけたり買い物に出かけたり、先日は名古屋城も散策した。
「仕事では、引き続き一生懸命学んで自分にできることをやっていきたいです。プライベートでは、ヘルパーさんが入ってくれているので、色んなところへ出かけてみたいです。そして普段支えてくれる家族へ一生懸命働いて、恩返したいです」
人生を精一杯、楽しんでいけたらと輝く笑顔を見せてくれた。
「まさか、自宅で働くことができるとは考えてもいませんでした。今の会社に入ることができたのも、今までコツコツ頑張ってきたことで、就職に繋がったところもあると思います。どうしても障がいがあると、難しいことも、やりにくいことも、色々多いと思うんですが、諦めずに自分にできることを発揮していくことが大切だと思います」
自分の姿を通して、同じような障がいを持つ後輩の世代にも見本になるような先輩になっていきたいと決意を聞かせてくれた。
インタビュー 佐々木美紅
愛知県在住の安井達哉さんは、プロのボッチャプレイヤーである。豊田市ボッチャ協会に所属し、BASE株式会社のアスリートグループで選手活動を行いながら、SNS発信や動画の発信、またボッチャ以外の業務サポートなどを仕事としておこなっている安井さんに、話を伺った。
イタリア語で『ボール』を意味するボッチャは、ヨーロッパ発祥の競技である。重度の脳性麻痺者や同程度の四肢重度障がい者のために考案された競技で、1984年からパラリンピックの正式種目にもなっている。ジャックボールと呼ばれる白い目標球に、赤・青それぞれ6球ずつのボールをどれだけ近づけられるかを競うスポーツで、ただ投球するだけではなく、制限時間内でいかに自分が優位な位置取りができるかなど、戦略を練っておこなう部分も見どころである。
近年ボッチャは、年齢や障害の有無に関係なく誰もが一緒にできるスポーツとしてよく知られている。自力で投球ができなくても、滑り台に似たランプと呼ばれる勾配具に球を設置して、位置や角度などをランプオペレーターに意思を伝えることで参加できる。
安井さんがボッチャを始めたのは2005年、小学5年生のとき。安井さんと同じ筋ジストロフィーを抱えている友人からの紹介が、始めるきっかけとなったそうだ。
「最初は『友達と一緒に遊べることが見つかってよかったな』という感じでボッチャを始めたんですけど、やってみたら、僕の考えていることが思ったとおりにその場で表現できたのが楽しくて夢中になりました。その当時、練習も一番ギリギリまで残り、長い時間していました」
ボッチャを始めた同年に出場した第5回あいちボッチャ競技大会を皮切りに、毎年愛知のみならず日本各地の大会へ出場し、2010年の第12回日本ボッチャ選手権大会で3位、2014年の第16回日本ボッチャ選手権大会では初優勝と、その後もあらゆる大会での活躍が目ざましい。
約20年間ボッチャを続けるなかで、安井さんの気持ちにも変化があったという。
「競技を始める前は応援される機会とか少なかったんですけど、ボッチャの大会に出ていくようになって、まわりの方々に『頑張って』とか言われるようになりました。『応援しています』っていう言葉は、僕のなかでは生きていくなかで結構いい言葉だなと思っています。成績は一応出しているんですけど、もちろん負けることも少なからずあります。悔しい思いとかしたなかで、現在、全国大会優勝まで最終的に行っているんですが、そういう嬉しさとかが仕事にも活かされていてメンタルも強くなったし、どんなことにも挑戦できるようになったと思います」
安井さんは電動車いすに座り、自己投球する。パラリンピック競技であるボッチャは障がいの程度によりクラス分けがされているが、安井さんが該当する『オープンクラス』は日本独自のもので、現在、国際大会の対象にはなっていない。
「僕の今の障がいの程度だと、あまり世界に繋がる感じではなくて、別の障がいのかたでもずっとクラスが変わらないまま世界に行けないかたたちが結構いる状況です。同じ境遇の人たちがいっぱいいるので、自分でプロリーグを作りたいと思っています。今、準備段階にあって、今年一年頑張ってなんとか作り上げたい。ただ、ボッチャだけをやるというのは仕事としては今のところあまり成立していないので、ボッチャで稼げる世界感を作って、一般のかたも誰でも上を目指せるようにしたいと考えています」
安井さんのなかでボッチャが占める割合がどのくらいか聞いてみたところ、8割と言うことだった。最後に、読者にメッセージをいただいた。
「継続してきた趣味が仕事に繋がるなっていうのを実感できているので、諦めずに継続していけば、いいこともあるんじゃないかなと思います」
安井さんは、3月9日・10日に開催される『ボッチャ東京カップ2024』に出場予定だ。きっと熱い試合が繰り広げられることだろう。
インタビュー 小林景子