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NPO法人フィリアの会
理事長 本田桂吾さんにインタビュー
NPO法人フィリアの会、理事長の本田桂吾さんは、安城市で2匹の猫とお母様と暮らしている。筋ジストロフィーを患い、ベンチレーター(人工呼吸器)を使用しながら生活している本田さんに話を伺った。
“生まれ育ったこの街と共に生きてゆきたい 弱者がど真ん中で生き生きとしている街きっとそれは幸福な街”
NPO法人フィリアの会は、この理念をもとに本田さんが今から10年前に設立した法人だ。どんな障害をもった人でも前向きに生きていける場所の創設を目指し、自治体との話し合いや各種イベントへの参加などを行っている。
現在、45歳の本田さんが筋ジストロフィーと診断されたのは7歳のとき。「学校で階段を上るのが遅くなったり、小学校の避難訓練で、みんなは素早く動けるけど自分は時間がかかって目立っちゃったりしていました」
WEBインタビューの画面越しに話してくれた本田さんの声は、明るく穏やかだ。
始めは地元の小学校に通っていた本田さんだが、9歳から高校卒業までは特別支援学校に通った。最初の2年半は寮生活をしていたという。
筋ジストロフィーのなかでも進行が早い型で、筋力の衰えも著しかった13歳のころ、電動車椅子に乗りはじめる。
できないことが増えていく精神的な辛さがありながらも、電動車椅子に乗ることで行動範囲が広がり、友人たちとも楽しく過ごした。
15歳のころには肺炎を起こして救急搬送され、その後2か月の入院。ほぼ寝たきりの入院生活は、体の変形や筋力の低下などをさらに進行させることになってしまったそうだ。
本田さんが16歳の頃、西尾市の中学生が亡くなる事件が起こる。普段から命の尊さなどについて話をしていた本田さんは、弟さんの家庭訪問で来ていた教師と話したことがきっかけで、学校から講師として招かれることに。命の大切さなどについて講演をした。「2か月入院していたので、授業についていけないし、クラスの友達との会話が噛み合わなくて学校生活がつらい時期があったことなどを話しました。それが最初の講演だったので印象に残っているし、よい体験をさせてもらいました」
同じ頃、職場体験でAJU自立の家を訪れた本田さんは、カルチャーショックを受ける。「ヘルパー制度などがまだない時代に、ボランティアさんの力も借りながら障がいのある人たちが自立して、自分がしたいように生活している姿を見て『そんなことができるんだ』と思いました。今考えてみれば、自分はこのまま何もできず、親と生活していくんだというネガティブな固定観念があったので。
自己主張をせず、何も言わず黙々と与えられた枠のなかで暮らすのが、障がいをもって生まれた僕の運命として、受け入れちゃっていたなって。自由に自己選択していくことが考えられなかったけど、それをきっかけに相当価値観が変わりました」
17歳の頃から作詞を始め、軽音部を立ち上げバンドも始めた。文化祭のライブが新聞に掲載されたことがきっかけで講演依頼が来るようになり、テレビの密着取材も始まった。
高校を卒業後、お母様の付き添いを条件に5年間就職。この頃から、夜間のみ鼻マスクでベンチレーターを使用するようになる。仕事をしながらもバンド活動でライブハウスや地域のイベントをまわり、ストリートミュージシャンたちとも知り合いになった。
その後も、自費でCDをリリースしたり、発売記念コンサートを市民会館で行ったりするなど精力的に活動してきた。
ほかにも、本田さんは22歳のときに絵本を自費出版している。これは、暗い印象を持たれがちな障がい者のイメージを払拭し、子供にもわかりやすく伝えるために考えついたものだった。
23歳で退職した後、講演活動や音楽活動を続けながら、31歳のときに身体障害者支援施設をつくる会を発足。35歳でNPO法人フィリアの会を設立する。
お母様とヘルパーによる介助で生活していた本田さんだが、お母様の怪我をきっかけに西尾市の支援施設に6か月緊急入所した。この頃から24時間ベンチレーターを使用するようになったが、その後も自立支援協議会とうじしゃグループのリーダーとなるなど、積極的に活動している。
多忙な日々を送る本田さんだが、休日は街に出かけるなどしてリフレッシュをしているそうだ。最後に、本田さんからメッセージを頂いた。
「障害があると不自由な部分もあるんですけど、諦めず外に出ていろいろやっているうちにいろんな人と出会って、それがいろんなチャンスに繋がっていくっていうことがあると思います。とにかく諦めずにチャレンジ精神をもって、ぼちぼち自分のペースでやっていけば、道はおのずと開けるかなって思います。人間だから大変なときもあったり、精神的に前を向けなかったりするときもあるけどあまり絶望せず、ピンチのときに必ず声をかけてくれる人は現れるし、そういうことで人間って頑張れるんだなぁっていうふうに思います。
障害があってもなくても、人生いろんなことが起きますから。とにかくね、気持ち的に『もうだめだ』って思わなくて大丈夫だって思うんです。みなさん、これからも諦めないでやってほしいなって思います」
今後も本田さんの理念のもと、NPO法人フィリアの会を通して垣根なく支援の輪が広がっていくことを期待したい。
※障がい当事者が中心となり、障がい者の自立を目指し活動する団体。
インタビュー 小林 景子
バスケチーム「春日井クラブ」
三宅 聡先生にインタビュー
【三宅先生が障害がある子供たちに関わろうと思ったきっかけは?】
『私は知的障害の子たちの学校、肢体不自由の特別支援学校、聾学校で障害がある子たちに関わってきました。
大学を卒業して、知的障害者の特別支援学校(昔でいう養護学校) で講師をしたのが障害のある生徒たちと関わった最初の経験でした。
仕事をしていく中で、障害がある子供たちと関わる時間はとても有意義で、本来教える側なのですが教えられることもたくさんあったんです』
障害がある生徒たちとの関わりにやり甲斐を感じた三宅先生は、教員採用試験を受け本格的にこの道に進むこととなった。
養護学校の義務制開始から4、5年経った頃で、昭和50年代後半。まだ養護学校に対する理解が進んでいない時代であった。
【春日井クラブには、どんな人たちが参加されているのですか?】
『それにはまず、立ち上げからお話させて下さい。私は一宮東養護学校に11年勤めた後、愛知青少年公園(現、愛・地球博記念公園)に3年間勤め、社会体育に接しました。その後38歳から春日井高等養護学校に勤め、バスケットボール部の顧問になったんです。その時、部自体は強くなっていったのですが、卒業後にスポーツに親しむ場がなかったため自分が作ろうと思い、学校の制約がない社会体育として長く続けられるクラブチームを立ち上げました。最初の頃は春日井高等養護学校の卒業生が加入していましたが、活動していく中で春日井高等養護学校だけでなく幅広く他の特別支援学校のバスケット好きの仲間が集まるようになりました。今は中学校の特別支援学級の生徒や卒業生など、年齢に関係なくスポーツ好きな子たちを受け入れる場となっています。ダウン症の子もいます。現在26年目になります』
【活動は何曜日にやっているのですか?】
『基本働いてる人が多いため、活動は日曜日または土曜日で、体育館の予約が取れる日に活動しています。
体育館を借りるのが抽選のため、取れなかった時は岐阜まで遠征に行くこともあります。
メインは春日井の福祉体育館。
色んなスポーツの団体が増えてきたため、申し込みが増えなかなか取れなくなってきました。
しかし、世の中それだけ障害者スポーツをやる人が増えてきたということは、嬉しいことでもありますね。
車いすバスケ、車いすのツインバスケ、聴覚障害のバレーボール、障害者のフライングディスクなど加入する団体が増えてきています』
体育館の予約を取るのも、すごい争奪戦である。
【春日井クラブの「ここがいい!」というポイントは?】
『まず一つ言えることは、幅広い年齢層でやっていること。下は中2くらいから、上は40歳近くまで。その中にはダウン症の方や、自閉症の方、知的障害でも軽度から中程度の方がいる。学校だと大体3年間での活動だが、クラブチームだと幅広い年齢層の人がいるため、お互いがお互いを気遣いとても勉強になるんです。上の子が下の子にプレイ的なことを教えたりもしています。現役の生徒から見れば、社会人の先輩は働いてお金を稼ぎながらクラブ活動をしている。また、余暇を楽しんでいる姿を目の当たりにしてるんですね。夜勤明けで練習に来る先輩、結婚してる先輩、車の免許を持ってる先輩等を見て後輩が憧れを持って育つ環境でもあります。職場でも悩みを抱えている人もいますが、実際にそれを言える人は少ないんですね。しかし、週に一度のクラブ活動に来てあれこれと話して発散し、また1週間頑張ろう!とリフレッシュの場にもなっている。それも、クラブチームを作った目的の一つでありますね。また、春日井クラブでは保護者とも仲が良く、その団結力は日本一ではないかと思っています。あとは、お金の管理。働いて得たお金をどのように使うか、バスケットにかけるお金をどのように捻出するかを考えて使うようになる。ユニフォームを買ったり、遠征費用を月々貯めるために無駄遣いしないようにとは言っています。なかなかお金の管理って難しいですけどね』
【困ってることは?】
『特別困ってることはないのですが、いかに携わってくれるスタッフを増やすかということは考えています。なので、障害がある人たちと一緒に体を動かしませんか?
春日井クラブではスタッフ大・大・大募集しています(笑)
携わってくれる人が増えれば、障害者に対する理解も深まると思いますのでね』
少しでも障害がある方や障害者スポーツに興味のある方は、春日井クラブで一緒に活動してみてはいかがでしょうか。
まずは見学だけでもOKです。
連絡は、三宅先生(09070441669)まで。
【三宅先生の今後の目標や夢を教えて下さい】
30数年間に渡り障害のある子に携わってきたことで、今後も障害者スポーツの普及に少しでも貢献できたらなと思っています。
選手、スタッフ、保護者の良好な関係が、他のクラブチームの憧れやお手本になるような魅力あるチーム作りが目標ですね』
四半世紀近くを知的障害者のバスケットボールや障害者スポーツに捧げておられる三宅先生。
お話を聞かせていただき、既に目標にしているチームが形成されていると思うのだが、春日井クラブが今後益々発展されることを願い、筆者も応援したい気持ちでいっぱいになった。
インタビュー 前田 真規